ヨモツヘグイニナ通信20250515
ずっと金のためだった
いつの間にか5月も半分過ぎました。5月8日は澁澤龍彦の誕生日で、それはわたしにとっては結構大事な、自分の誕生日よりも喜ばしい日であるのですが、身辺のゴタゴタがとにかくすさまじく、結局ケーキを買えずに、ファミマのプリンパフェを食べて祝うことになってしまいました。
ごたごたはまだ解決の兆しを見せていないし、5月というのは本来わたしにとっては祝福の月、であるわけです。
――そういや、ひまだな……というのも、ふと思いました。まあ、ごたごたがあるので暇なわけがないんですが、そのごたごたにかかずらっていられるくらいに時間的に余裕がある、といいますか。
五月、――十年間、わたしのスケジュールでは、四月、五月は忙しい月でした。「文学フリマ東京」というイベントが開催されるので、その用意をするのに、いつも追われていたんですね。
先週、文学フリマ東京は開催されたそうです。わたしはスペースを押さえていないので、不参加だったのですが、1月につくった「文学フリマの資本主義と権威主義の煽動に抗する同人誌」を、3スペースで配布していただいていました。
いずれのスペースでも、もうほとんど残りはないようですし、私の手元にも、もうデータしか残っていません。(国立国会図書館には納めてあります!)
ので、(もう冊子を読んでくださっている方には既読の文章ですが)再録しようかな~と思い。お付き合いいただければ幸いです。
ずっと金のためだった
文フリへ行くのが苦痛だった。楽しいと思えたことなど、本当は一度もなかったのかもしれない。
文学フリマに初めて参加したのは、2014年だった。春だったか、秋だったかは忘れた。会場は東京、流通センターの2階の1フロアだけでやっていた。
Twitterで呼びかけられていたタグ「BL短歌」に反応した有志でつくった『共有結晶』という雑誌に参加して文フリの存在を知り、イベントの手伝いに行ったのだった。
思えばあれがはじめて、ひとりで新幹線の手配までして出かけた東京だった。それまでは、叔母の結婚式と、中学の卒業旅行でしか、東京へは行ったことがなかったし、興味もなかった。
小学三年生の頃から小説を書きはじめ、中学、高校、大学――卒業してからも細々と二十年書いてきた――文学フリマに参加して、自分がつくったものをだれかに手渡すことができる場所を発見した喜びが、こんなふうに変質してしまうとは、そのときは思っていなかった。
去年――2024年9月の文フリ大阪で、わたしの文フリ参加暦は10年になるらしい。covid-19の流行で一時中断はしたものの、東京・大阪・京都は1シーズンに必ず1度は参加するようにしていたし、金沢や岩手、札幌にも数年に1度、参加していた。
はじめて参加したのが短歌の雑誌だったため、文フリ用にはじめてつくった本はBL短歌の歌集。だが、もともとは小説書きで、2回目からはファンタジーサークルで参加した。最初の1,2回は「参加すること」「本をつくること」が純粋に楽しかったように記憶している。
あの話を書きたい、この話を書いて持っていこう。そんな期待ばかり大きくなって、一生懸命小説を書くのが楽しかった。
その記憶は、もうおぼろげだ。
十年前だから?
いや、ちがう。
「文学フリマ」という「場」を思い出すとき、いつだってわたしは「お金のこと」を考えていたからだ。お金のことを考え、お金のことが不安で、お金のことをなんとかしなければならないと必死だった。
金。――そう、金だ。
もうはっきりと言おうと思う。「文学フリマ」という「場」から完全に去らないにしても、その頻度をこれまでほどではなく、そしてまた、参加する目的もこれまでのものとは全く別になるだろうから。
わたしが十年間のほとんど、文学フリマという場に参加してきたのは、金のためだった。
わたしは就職活動に失敗した組である。ちょうどリーマンショックの時期で、求人がなかった。金銭的な関係で奨学金を借りても実家から通える地元の大学にしか行けなかった。
なんとか就職できたのは緊急雇用対策で作られた隣町の文学館の管理人。日給は一日5500円、月の労働日数は20日を超えてはいけなかったし、駐車場代(一万円くらい)は自己負担。交通費は何とか出たものの、月々の奨学金の返済をしてしまうと、手元にはほんのわずかな金しか残らなかった。
「社会人(この言葉を「就労している18歳以上」に当てはめることをわたしは良しとするつもりはないが便宜上使用する)」としてやっていくには、いくら地方で、実家で生活していても無理があった。
文学館の仕事を終えるとホテルにバイトに行き、一日13時間くらい働いていた。それで何とか、奨学金・自動車の維持費とローン・携帯代・生活費をねん出していた。
働いても働いても、生活は全然楽にならなかった。
返済しなければならない奨学金の額はでかかったし、給料は少なかった。休みはなかった。誇張なしに、365日、働いていた。
文学館の契約が切れてからも、ろくに収入は得られなかった。正社員になどいちどもなったことがなかった。
そんななか、なんとか捻出した金で文フリへ行っていた。三重の田舎に棲むわたしにとって、一番近い会場は大阪だった。次が京都。どちらも交通費はかなりの金額だ。東京へ行くとなれば、月収の約四分の一の金が要る。
さらにサークル参加である。イベントの参加費、新刊の印刷費、搬入の宅配代――。新幹線の切符を買いながら、これで一体どれだけ新刊が刷れるんだろう、と思っていた。新刊の印刷費よりも、新幹線の切符代のほうが高いこともしばしばだった。
それでも文フリに新刊をもって参加していたのは、金がなかったからだ。わたしは文学フリマという場所でずっと、小説を書いて売っていた。金のために、である。
そういうことができたのだから、わたしはかなり運がよかった。会場と通販で頒布した金額から、印刷費、交通費、宿泊費、会場でほしい本を買うお小遣い……そんなものを差し引いても、手元に残るお金は結構あった。
携帯電話料金を支払ったり、ときに車検代だって支払えた。――というか、わたしは文フリという場で本をつくって売ることをしていなければ、生活ができなかった。
売れる本をつくるのに必死だった。
書けば書くほど、本をつくれば作るほど『共有結晶』ではじめて文学フリマという場を知った時の喜びや、初めて「ヨモツヘグイニナ」というサークルを名乗り、ちいさな歌集を並べただけのスペースで、本が手に取られたときの驚きと感動、がわたしから背を向けて遠ざかってゆくのが見えた。
イベント前のSNSのタイムラインで、こんな本をつくったとか、前回のイベントで買ったおすすめの本の感想や情報が飛び交っているのを見ては、胸が苦しかった。
このイベントでなんとしても新刊を売らなければ、来月の携帯代が払えない……自動車保険の更新ができない……労働に通うための駐車場代を払えない。イベントが近づくたび、金のことが不安になりすぎて、夜が寝られなかった。
ほんとうはおすすめの本の感想をほかの参加者と共有したかったし、新刊情報を「これが売れないとあしたからどうやって生活していけばいいんだろう」と思いながらじゃなくて「楽しんでください」「こういうのがわたしは好きで、こんなのができちゃったよ」そんなふうに心から発信したかった。――これは商業出版じゃない、個人が作りたくてつくる同人誌だから、売り上げのことなんか考えなくてもいい、同人誌だから好きなものを好きなように書けばいい。やりたいことをやりたいようにやって、一冊も売れなくて見向きもされなくて……たったひとりが見つけてくれて感想をくれて、それが次の原動力になる。その葛藤のいい部分も悩ましい部分も、ときに嫉妬にさいなまれることも、全部ひっくるめて、感じたかった。
十年間、わたしはそれができなかった。
金のために小説を書いている、それを売っているということをだれにも言えずに、文学フリマという会場に座っていた。
イベントに毎回新刊を持って行っているから、「あなたが書けなくなるってことはないって安心してるよ」って言われて、その言葉に心のそこで「すみません」と謝りつづけていた。
書けなくなったら、生活ができなくなるから、書けなくなれなかった。
買ってください、読んでください。その言葉を飲みこんで、かたいパイプ椅子に座っていた。金のためにここに座っているのだと思えば、積極的に売り込む気にはなれなかった。
意外にもわたしを「文フリ」の憂鬱や苦痛から解放してくれたのはcovid-19の流行だった。あの未曽有の大流行のとき、たまたま病院に勤めていて、イベント参加ができなくなった。そのころちょうど、奨学金と自動車ローンの返済も終わって、金に余裕ができた。無理に小説を書いて、文フリに参加しなくてよくなった。
小説を書くことはずっと好きだったが、わたしはひとにものを売ったり、接客することはそんなに得意じゃないし、好きでもなかったことに気が付いた。――気が付いた、と言うより、気づかないふりをしなくてよくなった、というか。
covid-19の流行が「終わった」ことにされて、転職し、また文フリへ参加できるようになった。
会場はいつの間にかさまがわりしていた。
商業出版で本を出している作家や、文フリ以外の商業的な流通経路を持っている出版社が、個人で同人誌を作っているサークルとわけへだてなく配置され、SNSでは文フリでいかに本を売るか、売れる本の装丁やマーケティング方法、文フリから商業作家に成り上がる方法……そんな話ばかりを見るようになった。
文フリに参加するということは、「売ること」であり、頒布数が伸びることは「作家的に成功すること」になっていた。
文学フリマで買った本、というタグをたどれば、洗練されて書店に並んでいるのとほとんど変わらないようなきれいな表紙の本が並び、文フリの会場で/商業文芸の世界で有名な作家の寄稿があるアンソロジーの写真の群れ。
名のある商業作家も、大きな文芸誌も、商業の流通経路を持っている出版社も、「金のため」にここで本を売るのだろうか。いつかのわたしのように。――生活が立ち行かなくなって、ここで小説を書いて売るしかなかったわたしのように。
金のために小説を書いて文フリで売っていたおまえがそれを批判するのか、と言われれば、返す言葉はない。
だけど、あのときの苦しかったわたしが問いたがる。語りたがる。
個人が個人の必然のままに作った本を並べている世界で、わたしだけが金のために本を売っている気でいた。
そうしなければ生きられなかったから、そうしていた。
大きな声で本を売れなかった、スペースに立ち寄ってくれたお客さんに、積極的に本の紹介をできなかった。お金のために来ているので、という言葉を何度も飲みこんで、「同人誌」の楽しさとままならなさを語る友だちと打ち上げに行く、その飲み会の金額がずっと気になって、注文がかさむたびにぞっとしていた。
他者の内心を推し量ることは不可能だ。「商業的成功」を語る人々のそれも。
ただ、わかるのは、売るための技法が語られ、資本主義と権威主義がほがらかに接見する場に、後ろ暗い気持ちを抱えて本を売らなければならなかったわたしの痛みや苦しみは、もう座っていられない、ということ。
「売ろう」「売れる本がいい本だ」「収入源としての文学フリマ」そんな言葉が、どれだけ重く身をさいなんでいたのかということを、わたしは語る場を持たずに退場する。――売るための本づくりにつかれたし、売るための本づくりをしている人たちを、わざわざ高い交通費を払って見物に行く必要はない。
だって十年間、わたしはずっと、文フリで本を売って金を稼ぐことに必死だった人間を、一番近くで見つめ続けている。
――会場へいくバカ高い交通費を使って、売れなくてもいい、刷りたい本を、一冊刷ろう。
近況報告的なお知らせ的なもの
じつは5月にイベントに2個参加します。
・ふ~ん学フリマ
5/22(木)〜5/25(日) 14-20時(最終日は19時、オンラインは26日8時まで)
場所 ●ISBbooks(〒166-0004東京都杉並区阿佐ヶ谷南1-25-23第一丸伊荘C号)
ISBbooks オンラインショップ
東京都・阿佐ヶ谷の本屋さんでのイベントです。56名の作家さんの作品が集まるそうです!
ヨモツヘグイニナからは最新刊『曠野、碧落を負いてゆけ』、新装版『浜辺の村でだれかと暮らせば』をお願いしています。
・リトルプレスブックカフェ
5/24(土)12-17時
場所:THE FLYING PENGUINS
(東京メトロ銀座線、東西線「日本橋」駅 A7出口徒歩1分)
こちらは棚が一個借りられるということなので、『曠野、碧落を負いてゆけ』、『浜辺の村でだれかと暮らせば』のほかに、『悠久のまぎわに渡り』や、『兎島にて』など既刊もお願いしようと思っています!
どちらも来週末ですので、文フリは人もサークルもたくさんでちょっとしんどい…というお近くのかたは是非。ふ~ん学フリマさんは通販もあるので、書斎派の方や遠方の方も…!
そしてもうひとつ、おしらせを。
今年の秋(9月頃かな)になりますが書肆珂夫賀から刊行予定の女性表象ジェンダー短歌アンソロジー『透明な濁流』に、なんと10000000000000年ぶりに短歌と、解凍小説を収録します。ほかの執筆者は朝凪空也さん・かおりさん。女性表象として日々を過ごす痛みや憤怒についてのジェンダー短歌や解凍小説を収録予定。
まだ情報は出そろっていないのですが、在庫が追加されたとき用のお知らせメールの受付は始まっていますので、気になる方は登録をどうぞ!
いきもにあもスペースをもらえそうなので、頑張って生き物のファンタジー書くぞー!ってなってるんですが、いかんせん書くものが多い!がんばります!

