ヨモツヘグイニナ通信20260730
熱砂のみぎわ
お久しぶりです。孤伏澤つたゐです。
前回からずいぶん間が空いてしまいましたが、ヨモツヘグイニナ通信をお届けします。
今回は海を歩いていた時のエッセイです。
熱砂の汀
孵化予定日は、酷暑日と重なっていた。
最高気温は四十度を超えるだろう――そんな天気予報を聞くことが増えた夏、わたしはひょんなことから毎日砂浜に通う生活をしていた。
夏の砂浜は暑い。海風があるぶん、他よりは涼しいのだとそれこそ天気予報はいうけれど、堤防の上は息苦しく、砂浜に降りれば、熱は、靴底を通して足の裏を焼く。朝五時半でも、汗はとまらないし、保冷剤を四つも仕込んだジャケットを着て、なんとか歩ける程度。
そんなひどい温度の砂浜に、シロチドリという鳥はいる。
チドリ目チドリ科の、20センチにも満たないこの鳥は、4月から8月にかけて、日本全国の砂浜で子育てをする。わたしがいつも通っている砂浜にも、シロチドリは巣をつくり、卵を守り、ひなを育てていた。
といっても、シロチドリの巣を見つけることはかなり難しい。砂浜に直接、砂とよく似た模様の卵を産むし、親鳥も砂浜にうずくまってしまうと、ほとんど見つけることができない。繁殖期でなくても、砂浜で休んでいるシロチドリは、慣れた人間でも見つけるのが難しい。
シロチドリの卵は、おおよそ25日で孵化する。このとき見つけた巣は運よく、2卵目の卵を産んだところを見つけた。翌日行ってみると、卵は3個に増えていた。シロチドリは卵が三つそろってから抱卵するので、その日から数えて25日目が、孵化の予定日だった。
シロチドリは絶滅危惧種だ。日本全国の砂浜で繁殖しているといっても、海水浴場の利用や、砂浜の開発で、繁殖に適した条件の場所はどんどん減っている。もちろん、それに合わせて、シロチドリの個体数も激減しているのだ。
シロチドリが無事に25日間の抱卵を終えることができることはまれなのだ。――海水浴場やキャンプに利用されるこの浜のシロチドリの巣と卵を守るため、保護柵が設置された。
保護柵の設置に立ち会ったが、シロチドリは巣の周辺に近寄る人間の頭上を激しく鳴きながら飛び回り、威嚇していた。通りかかる人たちは、なにをしているのかとしきりにわたしたちに問いかけ、わたしたちはその都度、「シロチドリという鳥が巣を作っているんです。見守ってあげてください」と答えた。人々は、聞いたことのない生き物の名前を、なんだか嬉しそうに繰り返しながら去っていった。
シロチドリは柵を設置したあと、巣の周りに突然現れた奇妙な物体をくちばしで見分してから、抱卵に戻った。
卵のすぐ近くをうろついていた人間たちが、少し離れたところで自分の行動を監視していたので、シロチドリは、今までみたことのないくらいまん丸に見開いた目でわれわれをにらみつけていた。
それでも、シロチドリはこの柵を嫌がることなく、抱卵をつづけた。
孵化予定日が近づくにつれ、わたしはそわそわしていた。早朝、昼間、夕方。じりじりと焼かれるようなひどい暑さの中を、浜に通い続けた。
孵化予定日の数日前から、人間の体温を超えるような最高気温の日がつづいた。
真昼間、浜に行くと、シロチドリのオスとメスが忙しく飛んでいた。鳥の巣、といえば鳥が卵を温めているというイメージが強いと思うが、鳥は卵を冷やすこともある。あまりに温度が上がりすぎると、卵が死んでしまう。――波打ち際に通って、腹の羽毛を海水に浸し、くちばしにたくさん水を含んで、シロチドリは巣にもどる。いつもなら歩いて離れるのに、このときは飛んでいた。――シロチドリは、砂浜にいるときは、ほとんど飛ばない鳥。人間が来ても、走って逃げる。そんな鳥が、何度も何度も、飛んでいた。
飛んで巣にもどると、それまで巣を守っていたつがいと間髪いれずに交代する。そして入れ替わった一羽は波打ち際へ飛ぶ。腹を海水に浸し、くちばしに海水をため……。
そして、巣にいるほうは、卵を海水の気化熱で冷やす。日光をさえぎるものは何一つない砂浜だ。くちばしをあけている。くちばしいっぱいにたまった水が、ゆらめいていて、喉が小刻みにふるえていた。
交代はすぐにやってくる。十五分おきだろうか。つがいは休む間もなく波打ち際と巣を往復する。
陽炎がゆらめくおそろしい温度。シロチドリには、卵を冷やすものは波打ち際の海水と、わずか17センチの体が作る日陰しかない。
できることはそれだけなのだ。
翌日は早朝に行った。蒸すが、明け方の気温はまだましなのだろう。堤防から見ると、シロチドリは一羽で、卵の上に座っていた。
目が合うと、ゲレゲレと威嚇の声を出す。巣の間近をうろついていた人間の顔を覚えているのだろう。――人間や飼い犬が近づかないように保護柵を設置するのに近づいただけだが……、シロチドリは、そんな人間の目的を理解しない。巣の周りを不躾に歩き回った存在は、許しがたい敵のようだ。
今日も恐ろしい最高気温が予報されていた。まだ孵化しなくても、孵化しても、酷暑からあたらしい命をまもるには、日中はまた十五分おきに交代で波打ち際に通う必要があるはずだ。すこしでも休んでほしくて、わたしはすぐに車に戻った。
ひなは朝方に孵ることがおおい。去年、孵化を見たのは七時ころだったから、五時ではまだ早すぎたかも。わたしが帰ってから孵化しているかもしれない、と夕方に行くと、シロチドリはまだ卵に座っていた。
シロチドリは生まれて数時間で歩けるようになる。自分で餌もとれる。シロチドリはこの浜では、砂浜のどまんなか、隠れるものの少ない場所に巣を作っていたが、ひなが孵化すると、草の深いところへと連れて行っていた。そこはおそらく、ひなが食べやすい大きさの虫が多く、隠れる場所もおおいからだろう。――砂浜は、砂だけのところよりも草むらのほうが涼しい。孵化すれば、親鳥もひなも、すこしは気温の低い場所へ、移動できる。
猛暑はまだつづくらしかった。――親鳥も卵も、動ける状態になって、すこしでもマシな環境に移ってほしかった。
朝と夕、浜へ行くと、シロチドリはやっぱりずっと、卵に座っていた。
孵化予定日を三日過ぎても、シロチドリは卵に座っていた。
孵化予定日を超過すること四日目の早朝。――シロチドリは巣にいなかった。
波打ち際ちかくに、シロチドリを見つけた。
早朝に孵化することがおおいとはいえ、夕方に孵化することもあるらしいから、昨日の夜に孵って、ひなを連れているのかな。
そう思ったが、成鳥が一羽しか見当たらなかった。
保護柵のなかには、つがいも見当たらない。嫌な予感がして、保護柵をまたぐ。巣に近づいて行っても、波打ち際にいる成鳥は気にしない。
ここまで近づけば、偽傷行為でこっちの気を引くなり、わざとらしく鳴き声を発してちかくを走り回るなり、頭上を飛び回るなりするはずだ。
この巣のシロチドリにしてみれば、わたしは指名手配犯、凶悪犯罪者みたいなものなのだ。大騒ぎして卵を守る行動にうつるはず……。
だが、シロチドリは気にした様子もなく、波打ち際で餌をつついていた。
そして。
巣には。
卵はあった。三つ、卵はあった。
そのひとつは、殻が割られて中の膜が見えていた。よくみると、肉色のなにか、も透けて見える。
孵化予定日を過ぎても、なかなか生まれてこないから、卵を割ってたしかめてみたんだろうか。そして卵が死んでいることに気づいたから、もう卵に興味がない?
温度を測ってみると、悲しいくらいに卵は冷え切っていた。鳥の卵は、40度程度の高温を保たなければ死んでしまう。外気温よりもつめたいだろう卵は、おそらく死んでいるだろう。
わからないまま、保護柵を設置した仲間に連絡すると、じつは昨日の夕方、この浜の別の生き物を見に来ていた担当者から、シロチドリが抱卵していないと連絡があった、というのだ。
卵が死んでしまったから、営巣放棄をしたんだろうか。――だったら、保護柵を撤去しなければ。
夕方、保護柵の撤去に向かったメンバーからは、「シロチドリは抱卵していた。なので保護柵はそのままにしてきた」と連絡が入る。
人間からは、死んでしまっているように見えるその卵を、シロチドリはまた温め始めたようだった。
翌日の朝は、シロチドリは抱卵していなかった。オスとメスが、巣から少し離れた場所で、ならんで砂の上で休んでいた。
巣を確かめに行くと、シロチドリはこっちを見た。シロチドリは、人間が卵や巣に近づきすぎていない、許容範囲の距離にいるときは羽繕いをすることが多い。羽繕いをするのはおそらく、気にしていないからではなく、気にしているそぶりを見せるとそこになにかあると天敵に勘ぐられてしまうから、わざと頓着していない動作をしているのではないか、とわたしは思っている。
だが、わたしと卵の距離は、翼を広げてばたばた暴れて気を引きにくるくらいの、シロチドリにとっては許しがたい範囲のはずだった。
巣を覗き込むと、殻を割った卵はなくなっていて、二つの卵が、とんがっているほうを揃えて置いてあった。温度をはかると、やはり冷え切っていた。
わたしは卵をそのままにして砂浜を去った。
関係者に連絡すると、「習性でしょうね。卵がまだそこにあるから、座るんでしょう」と返信がある。
夕方にもまた浜へ行った。昨日夕方に抱卵していたのなら、今日もまた抱卵するのかも。
だが、その日、シロチドリは、巣の近くの波打ち際にいた。二羽は、くっついてはないけれど、すぐ近くにいて、なにかしきりに鳴きかわしていた。
卵を見に行くと、虫がたかっていた。ひっくり返してみると、二つとも、穴が開いていて、そこから虫が出入りしていた。
卵は死んでいた。
シロチドリを見ると、わたしのほうを見ている。目があうと、ゲレゲレ鳴きもせず、一羽は羽繕いをし、もう一羽は、わたしには聞こえない音程で、くちばしを開けたり閉めたりして鳴いているようだった。
――卵はいつから死んでいたんだろう。殻がはがれていた卵の様子を見ると、もうほとんどひなの形をしていた。あのひなのうちから成鳥とおなじくらいの長さの足は、どんなふうに卵におさまっていたんだろうか。
孵化寸前には、卵の中から鳴き声が聞こえるのだという。卵を冷やしながら、抱きながら、シロチドリたちは鳴き声を聞いたんだろうか、――聞こえないことを、おかしいと思ったんだろうか。
鳥の感情を、わたしは推し量ることはできない。人間の想像で、「きっとこうだっただろう」とは決して言えない。
だが、毎日毎日、かれらを観察していると、かれらに感情や知性が備わっているだろうと思うことは多々ある。
たとえば、抱卵をしている巣に人が近づくと、オスとメスが飛び出してくる。二羽はくっついてしきりに鳴きかわす。まるで、作戦会議をするかのように。そして、ひとしきり会話が終わると、一羽はこっそりと身を縮めて歩き出す。もう一羽は、首を長く伸ばして、ピュイッ、ピュイッと甲高く鳴く。人間はもちろん、鳴き声のするほうを見る。気になって追いかけてゆくと、――そのあいだに、こっそり離れたほうの一羽は、飛んで巣にもどり、卵を抱く。
海水浴場の整備で巣を埋められてしまったシロチドリたちもそうだ。巣のあった付近を、二羽で歩き回り、しきりに鳴き声を発している。「ない」「卵がない」「ここにもない
」「あったはずなのに」人間の脳は、そんなふうに、彼らの鳴き声を理解してしまう。だが、あながち外れてはいないと思う。かれらは卵を探している。そこにあったはずの卵が、なくなってしまったのは確かで、それを見つけようとしているのだから。
25日を過ぎても、卵に変化がないと気づくとき。シロチドリは、「時間」の概念を持っているだろう。
もしシロチドリが卵の殻を割って中身を確かめてみたのなら――外敵に襲われたのなら、卵はすべて食べられてなくなっているはずで、卵の殻をわざわざ丁寧に膜だけ残してはがすはずがない――、「たしかめてみよう」という考えが働いているはずだ。
冷たくなってしまった卵を、もう一度抱こうとするとか、死んでしまった卵のそばに近寄る人間を、じっと見ているとか……そんな行動だって、かれらには何らかの意味があり、その行動によって、かれらは世界を把握しているはずなのだ。
猛暑の日、――いつもならメスしか抱卵していない時間帯にオスも現れて、二羽で必死に波打ち際に通っていた。そのような共同作業は、なんらかのやり取りがなければ生じない。
人間が人間の感覚をもって、野生動物の行動に意味づけすることをわたしは好まない。
だが、シロチドリたちにはシロチドリたちのもつ時間感覚があり、意思疎通があり、――卵の死を受容するための行動があるのでは? そう考えることは、無駄ではないと思っている。
鳥は、野生動物は、人間とは意思疎通をすることも、考えを共有することもできない全き他者である。
全き他者が、その全き他者固有の方法で、世界を感知している。砂浜と、波打ち際と、海水しかない環境でかれらが感知している世界は、わたしたち人間の感知している世界とおなじ世界なのだ。捉える方法に差があるだけの。――わたしはその、全き他者の感性が滅びることを許容しない。おなじものを感じられなくても、触れられなくても、かれらはかれらの方法で、この世界を把握し、生きている。
砂浜も海も地球も、わたしたち人間だけの世界ではない。
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いま、「シロチドリ」というちいさな鳥の調査をしながら生きています。
毎朝四時か、遅くとも五時に起きて浜へ通う日々です……。
去年の夏、一人でシロチドリの観察をして、シロチドリの本を作りました。
『砂浜の、すみっこで シロチドリ観察日記』
シロチドリは、4月から8月にかけて、日本全国の砂浜で繁殖を試みます。人間が海水浴を楽しむ砂浜が多く、シロチドリの最大の天敵は人間!と言ってもいい……ような。
砂浜を歩くとき、草むらを避けて波打ち際を歩くだけで、シロチドリのひなや卵を守ることができます。夏休み期間に入り、浜を歩くことが増えた方もいるかと思いますが、気にかけてもらえると嬉しいです。
ほかには、お知らせとして、書肆珂夫賀から『靭性×人生 滞仙日記』という本が出ました。こちらは仙台を中心に、東北をフィールドワークした日記のまとめです。
「東北」と大きくくくってしまうと、まだ秋田や山形はほぼ未踏の地なのですが。
奇しくも、3月11日に福島県の広野というところで開催される「311波に乗ろう」というイベントの2025年の参加から、2026年の参加までというきっちり一年間の記録になりました。
興味のある方は、よかったらお読みいただけると嬉しいです。
ほかにも、小説はぼちぼち書いています。次は小説の本を、作りたい…っていつも言ってるような?
そんな感じです。次の通信まで、また日が空いてしまうかもしれませんが、またぜひお付き合いください。

