こんにちは。孤伏澤つたゐです。
ニュースレターのタイトルを決めてみました。と言ってもとくにひねりもなく屋号の「ヨモツヘグイニナ」通信になりました。一番しっくりきますね。よろしくお願いします。
「書くだろう」と思っていたものが変わってきた
大学は地元の大学の文学部だった。だから、郷土文学というものをやった。三島由紀夫、江戸川乱歩、梶井基次郎……。澁澤龍彦の夢女子(Aro/Aceの夢女子もいます)として十代と二十代の半分をつぎこんできた人間には、なんて魅力的な名が並んでいたことだろう。ああ、なんもないと思っていた三重県にも、こんなに素敵な文人たちが……と感動し、江戸川乱歩の友人でともに小説の構想を練ったという岩田準一の民俗研究を読みあさり、いまでも三島由紀夫の『禁色』でちょっとだけ出てくるホテルのアフタヌーンティーには毎シーズン欠かさずいくし、つい最近出た(と思ってたら2020年刊行だった!)岩田準一の小説『彼の偶像』もちゃんと買いました。いや、そんな話をしたいわけではない。この話もしたいが、これはこれでいつか機会があれば聞いてください。
大学を卒業してすぐ、地元の文学館で働くことになった。この文学館での思い出も、ほとんど澁澤龍彦の全集を読んでいた記憶しかないのだが(だって上司が「暇でしょう、本でも持ってきて読んでて!」って言ったんだもん)あれがどれだけ生涯で幸福な時間だったか、という話をしたいわけではないので話を進めると、そこでは、郷土の詩人のことを主にやっていた。
その人の名は伊良子清白という。いらこせいはく、と読む。本名は、伊良子暉造。日夏耿之介に絶賛され、『孔雀船』という詩集を世に問うも、ほとんど手に取られることはなかったという(『孔雀船』の書評は日々詩編集室からでた「まちうた2024年3月号」に寄稿しているので予価ったら読んでください)この詩人は、「漂泊の詩人」とも呼ばれていた。
平出隆が二冊組の評伝を書き、全集の編集もしているが、この人は元々三重に住んでいたひとではない。生まれは鳥取県。そこから大分や台湾、京都などを転々としながら、三重県の鳥羽へとたどり着いた。清白は医師だった。
医師で、文学者……。そう言われて、文学に興味がある人は一人の文豪の名を思い浮かべるだろう。森鷗外。――清白と同時代に、生きていた。
だが、その同時代に「生きてきた」ふたりの文学者が交わったという記録はない。ただ、清白は鷗外の文学を愛しており、死の間際(鳥羽の現在のミキモト真珠島・パノラマ島のモデルに軍事基地があり、上陸するかも…という噂が流れて三重の山奥に疎開したのだ)まで『即興詩人』を読んでいたと言うけれど、鷗外が清白の『孔雀船』を読んだかどうかはわからない。鷗外は東京の真ん中で「観潮楼」と名付けるような屋敷を持ち、文人たちと歌会など開いていたそうだが、清白の鳥羽の住まいは海の真ん前の、いまでいう社宅。町医者として赴任してきた清白は、まちが用意した家屋に住んでいたのだ。それは、海が荒れると潮をかぶるような、そんな家だった。そしてそこで、地元の「白鳥短歌会」という短歌会で選者や評をやっていた。ついぞ中央の文壇、都市の「文学」にはたどり着くことのない生涯だった。
……この伊良子清白の生涯を学び、全集を、評伝を読み(わたしが生涯で全集を読んだのは澁澤龍彦、森茉莉、堀口大學、伊良子清白だけである。そしてこの中で伊良子清白だけ、ほんとうに異色だと自分でも思う)、わたしは、「この人のことをきっと書くんだろう」と思った。「伊良子清白と、森鷗外のことを書かなければ」と。
それは、地方で文学をやり、おそらく「東京の」文学には決してたどり着くことのないわたしにとって、ひとつ、握りしめつづけていたお守りのようなものであり、そして、わたしを縛る首輪のようなものでもあった。
地方で町医者をしつづけながら、その土地で営まれる「文学」を見守りつづけ、育てつづけてきた詩人。都市で、医師という経験もあり、多くの文人たちと交流していただれもが名を知る文豪。わたしはこの二人に、「地方と都市」といういびつさを見ていたし、だからこそそれを「書くだろう」と思っていたのだ。
この言い方だと、まるで「書かない」みたいに思えるのだが、これはいつか出してくれるできれば地元の出版社(でなければならない)があれば、書く気でいるし、最後の文章ももう決まっているし、資料も積み上げてあるので、「書かない」わけではない。
ここでいう「書くだろう」は、生涯でもっとも、わたしの切実によって書かれる物語になるだろう、と思っていた、と言い換えることができる、か(?)。
「書くだろう」が、最近、変わってきたのだ、漠然とだが。
それは昨年の三月と十月にした経験が気づかせてくれたことでもあり、そこへ行ったからこそ、わたしは「これなんじゃないか」と思えてきたのだ。わたしはおそらく、「文学」という、一種の洗練と文明の後ろ盾のある営為による、「定型」「評価基準」が明確(権威によりそれが定められている、と言う意味で)な共通項をもちいるのではなく、もっとこんがらがった、そして「定型」「評価基準」という、都市部の洗練をこそメートル原器とする基準の埒外にあるいとなみでもってしか、わたしの切実は果たされないのでは?
わたしはこの土地から「出たことがない」のだ。それは、「出たくなかった」「出ないことを積極的に了承していた」わけではない。わたしはここを「出られなかった」。そして、出られなかったからこそ、わたしは、見なくてよかったものをいくつもみてしまったとも思う。傷を負い、問いつづけねばならなくなった。それはおそらく、「漂泊の」詩人の「地方」で、十全に語りうるものではない。わたしはこの土地とともに生き、「この土地とともに生きることで土地とともに傷つき」、この土地に祈らねばならない。その物語こそ、書くだろう。
そう、考えるようになっている。――具体的には、なにを、というのはまだない。清白と鷗外、そのふたりの物語でないのはたしか。わたしはきっと、「名がない」ひとを書く。フィクションを、という意味ではない。そのひとたちは、都市のもつメートル原器によっては測定できず、ゆえに、「名がない」のである。
その物語を、わたしは書くだろう。
今日のお知らせ(2コ)
去年9月に日々詩編集室から刊行されたクィア小説『ゆけ、この広い広い大通りを』の電子書籍配信が、4月5日からKindle&koboで始まります。いまは予約受付中。
HIBIUTA ONLINE SHOPや、本屋lighthouseさんでも、PDFとePubの電子データが販売されているので、電子派のかたは、ご利用しやすいほうを使ってください。(HIBIUTAとlighthouseさんは紙書籍もあるよ!)
イスラエルによるパレスチナで行われている行為に対して、技術提供をしているAmazonのサービスしか選択肢がない、という状態を避けたかったため、楽天での配信もしています。私自身、なるべくAmazonを使わずに生きたいと思いつつ、完全にはできません。そしてそれは、多くの人がそうだと思います。能登の震災での物資援助、「欲しいものリスト/AmazonPay」を活用した支援が、だれかの「明日」が少しでも生きやすいようにと祈りをこめて、されている、それも同時に思います。完全に断ち切ることができない、と言うこと、の生々しさが歯がゆいです。
もう一つ、イベント参加のお知らせもあります。
4月13日(土)~28日(日)まで京都・堀川新文化ビルヂング 2Fで開催される「三富2024」というイベントに、ヨモツヘグイニナの本を預かってもらう予定です。ワークショップとかのイベントもたくさんありそうで楽しそう!お近くの方は是非覗いてみてください。いろんな本が集まる予感……!
長いニュースレターをお読みいただき、ありがとうございます。こんな調子でいいのかな…。なんとなく、いまのところ、「ここだけの話」みたいなことができる場所なのかなあと思っています。
それから、日夏耿之介とか平出隆とかいう単語が出たときに、澁澤龍彦の話をしなかったことは、ほめてください(条件反射でこの話をする人間なので…)。また別の機会に、「大学の郷土文学から消された詩人」の話もできればいいなと思います。
次もまた読んでもらえるとうれしいです。
孤伏澤つたゐ