こんにちは。孤伏澤つたゐです。
去年も受けていた(が、半分しか参加できなかった)小説講座に、今年も参加することになりました。課題が「わたしについて」という作文なので、澁澤龍彦について書きました。第一回目の講義は「好きな本を持ってきてね」と言うことなので、『高丘親王航海記』か、『狐のだんぶくろ』か悩んでいるところです。
文学とか本とか重ための話ばかりしているので、今日は日記的なものを。
若いころスポーツカーで通っていた山に、今も通っている話
冬が終わったと思ったら急に気温が上がって、春とは…? という顔をしている。
それでも地元の浜には渡りのシギチドリが飛来し、今年もむくむくとしたぬいぐるみみたいなツバメチドリもやってきて、野鳥の会の友達や、ご近所の鳥写さんと一緒に鳥を探してあちこち走り回ったり。
鳥の写真を撮るようになって、ライフスタイルや服装が、いままでと変わってきたなあと思う。
服装は森に擬態できるように緑色のデザイン性の低いアウトドアブランドのもの(といっても高いのでほとんど買えず、もっぱらワークマンだが)、週末の天気に一喜一憂し、晴れていれば「どこの山へいこうかな」と、いままでなら考えたことがないようなことで頭を悩ませている。鳥写を始める前なんて、天気が雨だろうが晴だろうが、停電さえしなければよかった。家で本を読んだり、小説を書いたりしていればそれでよかったので。それがいまでは、木曽駒ヶ岳を登ったり、今年の夏はアルプスへ行くか? とか考えている(鳥を撮るということは、往々にして鳥を見ているのか崖を登っているのかまったくわからなくなることでもある)。
わたしは大学生頃から二十代後半まではモータースポーツに凝っていて、スポーツカーに乗っていた。いわゆる酷道というものが大好きで、「道か?」みたいなぐねぐねした山道をえらんで走り回っていた。
好んで走っていた場所に、一つ、ヘアピンカーブが連続し、車一台がようやく通れるような、そして片側は斜面、もう片側は崖、という山がある。ドライブに最適な山道で、春から夏にかけては、自転車・バイク・スポーツカーと、タイヤが付いている乗り物がしょっちゅう走っている。もちろんマフラー音は爆音だ(自転車除く)。
夏の盛り、日差しをさえぎられた薄暗い山の中はとても涼しくて、そりゃあタイヤがついているものを転がしていたら最高に気持ちがいいだろう! 気持ちがよかった!
モータースポーツからはしりぞき、いつのまにか機械類への執着は自動車からカメラに変わった。それでも縁というのは不思議なもので、わたしはいまも、爆音のマフラーでドライブしていたその山へ通っている。
カメラを持って。
そうすればもちろん、車は、一脚をたてて茂みに囀るオオルリを撮影しようとするわたしの側を走り抜けていく。ドライバーは、「なんでこんなところに人がいるんだ?」と信じられないものを見るような目でわたしを見ていく。それもそうだろう、とにかく深山幽谷。山のなか。夜は心霊スポットにもなるような、深い深い山の奥である。
まあ、そうだよね。わたしもそう思ってた。あのとき、なんでこんなにこの山、ひとが歩いてるんだと思ってた。
まさか鳥を見てるとはまったく思わなかったけどね!!
そう、その山は、夏鳥の観察に最高なのである。鳥というのは、生身の人間よりは車で近寄ったほうが警戒されず、観察や撮影がしやすい。人間の姿が見えたら絶対にそこを避けて飛ぶハイイロチュウヒも、人間の気配があるだけで絶対に茂みから出てこないアオジも、車だとなぜかわからないがけろっとして出てくる。それ、人間の持ち物ですよ! 窓開いてるよね? よく見て、よく見て、人間の顔、出てるよ!
それでも鳥は気にしないのである(これがサルだと、窓を開けていなくても、そもそも「車」というだけで警戒して森の中で深刻そうにキイキイと鳴き交わしている)。
ただし、鳥に近寄りやすいのは「マフラー音が静かな車」に限られる。つまり、甲高いエキゾーストノートをひびかせていたら、鳥は逃げるのである。
そう、わたしは、かつて、山を歩き回っていたバーダーが血眼になって探していたオオルリ、キビタキ、アカショウビン……そんな鳥たちを森の奥深くへと追いやっていたのだった。
だけどたぶん、あのときも、アナグマさんだけは爆音におびえずに山道を歩き回ってたと思うな。このあいだちょっと山奥の村に鳥を探しに行ったら、アナグマさん、ふつうに民家の庭先を歩いてた。道を爆音のバイクのツーリング集団が走りぬけていったけど、まったく気にしなかった。ロードキルされているたぬきのようなもの、よくみるとアナグマさんであることが多いし……。
そしてそんなアナグマさんは、鳥だったら絶対逃げるような至近距離に人間が突っ立っていても、のんびりゆっくり地面を掘り起こしているのである。
野生の生物の警戒心というのは、本当にわからない。
閑話休題。
ハンドルとシフトノブからカメラに持ち替えて、森に訪れると「目線が変わった」と思う。ドライブでこの山を走っていたときは、「こんな山道をふらふら歩いてるなんて危ないなあ」と思っていたけれど、今は「あんな爆音で走られたら鳥が逃げるなあ」と思っている。
あの頃のわたしに「鳥が逃げるよ」という話をしても、それがどういうことなのかわからなくてぽかんとしていただろう。そしてあの頃の私が「山道を流すのってこんなに気持ちいいんだよ!」と言ってきたら……うーん、「鳥がいない山なら、最高だと思う」とは答えちゃうな……。
鳥がいるのは山奥だったり、峠を越えたりしなければたどり着けない場所だったりする。そしてやっぱり、峠道を走るとなると、テンションは上がるのだ……。
カメラを抱えて、今日も山を歩いている。
若い頃、コーナーの先を見て、気持ちよく走っていた道を、いまは窓を開けて、ゆっくりゆっくり、鳥をさがして走っている。爆音の車や単車が通りすぎて行って、飛び去る鳥の影をみて、ちょっとしょんぼりする。そしてまた、気を取り直して鳥の警戒心が薄れるのを待つ。
あのころと同じ山だ。ただちょっと、ものの見方と、楽しみ方がかわった。乗っている車も、スポーツカーから、車中泊ができるバンに変わった。
だけどいまも、MT車であることだけは一緒。山を快適に走るにはMT車が一番いいし、なにより、下りになれば、ニュートラルに入れて静かに静かに山を下れる。鳥のさえずりが存分に聞こえるし、警戒心が薄れた鳥たちが道のすぐそばに出てくるのだ。
お知らせ(2コ)
4月28日(日)まで京都・堀川新文化ビルヂング 2Fで開催される「三富2024」というイベントに、ヨモツヘグイニナの本を預かってもらっています。『浜辺の村でだれかと暮らせば』『アルバトロスの語りの果てへ』『兎島にて』の三種類と、日々詩編集室も参加するので、そちらには『ゆけ、この広い広い大通りを』の紙書籍があります。
ワークショップとかのイベントもたくさんありそうで楽しそう!お近くの方は是非覗いてみてください。いろんな本が集まる予感……!
5月19日(日)に東京・流通センターで開催される文学フリマ東京にサークル・ヨモツヘグイニナで参加します。明日多分、ウェブカタログが公開だと思う。
わたしは黒田八束さんの「おざぶとん」で刊行の家父長制アンソロジーに「おお、同胞よ、父の言葉よ」という小説で参加しています。(スペースも隣接だよ!)
その言葉が信用ならないと決められた父の死骸を棄てに、一族で一番の蛇狩りの男が旅立つ物語。
ほかにももしかしたら何かあるかもしれないけど、ヨモツヘグイニナでは新刊は今のところ予定がありません、といいつつ、ここで書いた散文とかをまとめたコピー本くらいは作ってもいいかなあとか考えてます。また決まったらお知らせとかあると思います。